59年、夏の甲子園。決勝のマウンドに、宇都宮工業(栃木)のエースとして立っていた。準々決勝からの3連投。170センチ、64キロの細い体に点滴を打って臨んだ。疲労はピークに達し、指先に力が入らない。それでも延長15回を一人で投げきった。試合終了のサイレンが鳴り、流れる相手の校歌。どっと全身から力が抜けた。
「気力で投げていた。今考えると信じられないが、あのころは無限の力があったんだなあ」と振り返る。早稲田大に進学後もアマチュア野球で活躍を続けたが、父親の死をきっかけに現役を引退、実家の料理店を継いだ。しばらくして、長男の恩師から日本文理の監督の依頼があった。
新潟には縁があった。早大4年の夏休み、新潟商のコーチを務めたことがあった。その年、新潟商は甲子園に出場。上野駅から夜行列車に乗って訪れた新潟の印象は「お堀と柳の木があって情緒ある町」。それから約20年。再び新潟で教えることになるとは思わなかった。
「こうすれば勝てるというのはない。手取り足取り教えても駄目」。自分たちで考える野球をさせるよう心掛けてきた。今年のチームのスローガンも「己に勝つ」だ。
背景に「高校野球の目的は人間形成」という、ずっと貫いてきた信条がある。野球だけできても意味がない。礼儀や仲間の大切さを重んじ、社会に出る時の基礎を身につける。「高校野球はたった3年間だけ。あとの人生の方が長いんだから」
監督を続けて23年目。「来年には教え子の子供が高校に入る年になる。こんなに長くやってるなんて嫌になっちゃうね」と大きな声で笑う。67歳になっても投球マシンを使って打撃の見本を見せる老将。「打って、守って、走って、すべて攻める気持ちでプレーしろ」。力強い言葉がナインの気持ちを奮い立たせる。